兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、
(ヤコブの手紙5:7-8)
「忍耐しなさい」と短い2節の間に3回も言われています。忍耐することは現代人にとって、苦手科目かもしれません。それだけに充分にこの御言葉を味わいたいものだと思います。
ヤコブの手紙はもともと「試練」の問題から始まっていました。試練の中にいる者たちに対して、それをどう受けとめ、どう考えるべきか、から始まりました。そして、神さまに責任をなすりつけることは出来ない、むしろ神さまに信頼して委ねて生きることが教えられました。信仰と行いという課題が扱われ、行いは信仰の実りとして欠かせないものであることが示されました。けれども行いのことを考えると私たちは、満足感を得られるどころか、きちんと実践出来ないという挫折感や失望感を味わうことになります。まぁ、「失敗学」とでも言ったらよいのでしょうか、それを学びました。ことばによる失敗、ねたみや敵対心という心の失敗が扱われました。そこから積極的な面に転じて、神さまの恵みを受けていることを知っている者の生き方として、裁き合わないこと、未来を神さまに委ねること、富を正しく用いることなどが教えられてきました。
クリスチャンにとってさらに大切な心構えがあります。「主が来られる時が迫っている」ことを日々覚えることです。主の再臨の時とも言えますし、個人としては終わりの時としての自分が召される日のことでもあるでしょう。歴史には終わりがあることを心得た者の生き方が、ここでは農業のたとえで説明されています。初秋の種まきの後に降る雨が、種を大地にしっかり根付かせてくれます。また初夏の収穫前に降る雨が、実りをいっそう豊かなものにしてくれます。農夫はその結果を期待して「大地の尊い実り」を得るまで忍耐して働くのです。「心を固く保つ」という言葉は、「心を強くしなさい」とも訳されます。神さまが答えを与えてくださるのに、時間がかかることがあります。すぐに解決することの方が少ないでしょう。
自分自身が何年もかけて成長する必要があったり、相手が変わることを期待して何年も待つのです。けれども終わらないように見えて、いつかは答えが出る時を迎えるのです。ちょうど「尊い実り」が得られるのと同様に。
パウロも書き記しています。「苦難をも誇りとします。
(ローマ5:3-5)他にⅠコリント10:13やヘブライ12:1-11も励ましになります。祈る、神の愛を知る、主に信頼する、それらが失望を免れる秘訣であり、耐え忍び、心を強めることにつながっていきます。わたしたちが人生で抱えている問題は様々です。忍耐して神さまが備えてくださる時を待ちたいものです。主のなさることを信じて。旧讃美歌291番「主にまかせよ、汝が身を、主はよろこび助けまさん♪」の通り。
