神さまの選び

メッセージ

 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約東された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。


(ヤコプの手紙2 : 5 )

 「わたしの愛する兄弟たち」また来ましたね。これぞ言っておこうという時のヤコプの決まり文句です。ましてここでは「よく聞きなさい」とまで言われています。「神は世の貧しい人たちをあえて選んで」と続きます。
 この聖句は立場が異なると捉え方が違って参ります。自分はどういう立場にいるか、です。自分が富める層に属する、そこまでではないけれども中間層にあると思う方はこのまま読み進めていけばいいでしよう。そうすると、神さまの選びは私たちの価値基準を超えている、とまずは受け取ります。神さまの価値基準を大切にしたいと考え始めます。だからこそ、上から目線で「人を分け隔てする」なら、罪を犯すことになりますと言われると、心が傷み、どうすれば回復への道を歩めるかを模索致します。自分の信仰の吟味がなされる訳です。「隣人を自分のように愛する」を実行している一方で、「人を分け隔てする」ならば罪を犯していると言われるならば、差別行為に陥らないようにするにはどうしたらよいかを考え始め、行動に移す。そこで気づきが与えられます。相手をランクづけすることなく、受け入れ、共に歩もうとするのです。ただし、寄り添うことには時に困難を覚えることがあります。相手から拒まれるかもしれません。しかし、ここで覚えるのはWWJD(What Would Jesus Do ? ) 「イエス様ならどうなさるだろう?」まさにイミタチオ・クリスティ(キリストに倣う)がスタートします。これは信仰の鍛錬と成長につながっていきます。安易な道ではないかもしれません。しかし困難であるがゆえに 私たちの信仰は深まり、クリスチャンであることが内外に鮮明になっていきます。ヤコプの厳しい指摘をくぐりぬけられるかどうか、本当に難しいことですよねえ。だからこそ、祈って祈って進むほかありません。キリストに倣おうとする者に、神さまの恵みと憐れみが注がれることでしよう。
 立場の違いと前に言いました。私たち自身が「世の貧しい人」である場合です。すると、私たち自身がどうふるまうかというより、神さまの選びの不思議さの方に目が向きます。そして不思議な選びにより、信仰に富ませて頂き、神の国を受け継ぐ者とされていることを素直に喜ぶことが出来ます。主の恵みによって生かされている!アーメン! !です。
 しかしです。私たちは立場の優劣をつけたがります。どんなグレードであっても、上には上を、下には下を格付けをして、その中で振る舞うのです。「比較するは不幸の始まり」と幸雄牧師は言っておりました。私たちは、主の救いの恵みをそれぞれに受け取りました。それを大切にしたいと思います。先日の説教でも申し上げました。十字架の形、それを信仰者の基本姿勢にしていきましよう。主を主として礼拝し、他者と交わり仕え合う。私たちはそこを生き抜くのみ。主は助け導いてくださいます。