試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約東された命の冠をいただくからです。惑に遭うとき、だれも「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
……わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。
(ヤコプの手紙1 :12-13,16-17)
私たちに試練はつきものです。もし、試練にあって神さまが遠くに感じられる時があるならば、今日の御言葉を思い起こしてください。そして更なる信仰の成長につなげたいと思います。
「試練を耐え忍ぶ人は幸い」と言われます。また「命の冠をいただくから」とも言われます。そこで鍵となるのは「神を愛する人々に約束された命の冠」という言葉です。命の冠は、神を愛そうと思った人に約束されたものだというのです。私たちが試練に遭遇する前に、「神を愛そう」「主イエスの愛にお応えしよう」と思い定めた時から、人生の祝福は始まっています。ローマ8:28の御言葉を思い起こします。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
私たちが神さまを愛するに先立って、神さまご自身の御計画と召しとがあります。そう。神さまの計画、召し、神を愛するようになる、試練に遭う、耐え抜く、そして(神を愛する者に約束された)命の冠、と進んでいくのです。あらかじめ約束された祝福が、試練を経た私たちのところに届けられるのです。なんという幸い、なんという恵み!
けれども、この祝福にあずかる前に、誘惑に遭う、罪に陥る危険性があります。私たちは誘惑に屈すると、ややもすると神さまに責任をなすりつけたくなります。「なぜ、こんな目に遭わせたのですか」と。しかし、神さまは私たちをだまし、誘惑の原因となるようなお方ではありません。ヤコプは「思い違いをしてはいけません」と言います。良い贈り物、完全な賜物はみな、光の源である御父から来るからです。天体の動きにつれて、光が当たるところに影が生じます。だから私たちには、光の部分と影の部分があります。それが私たちの日常でしょう。けれども影を生み出した神さまご自身には影はありません。そして「造られたものの初穂」となさる為に私たちを御心のままに、真理の言葉によって私たちを生んでくださったのです。だからこそ、すべての祝福をもたらしてくださるのです。
神さまは傍観者ではありません。私たちを愛し通されるお方です。誘惑の原因となられるお方ではありません。神さまを愛する私たちに、祝福をもたらそうと願っておられるお方です。ヤコプを通して語りかける神さまのメッセージをしつかり受け取りましよう。神さまは身近におられます。
