どんな境遇でも

メッセージ

 貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。

(ヤコプの手紙1 : 9ー1 1 )

 貧しい人に、高められることを誇りに思えとまず呼びかけています。次に富んでいる者は、低くされることを誇りに思えと言います。どちらのポジションにいても、その所に留まらず、高くも低くもされるというのです。ひと頃、「勝ち組」「負け組」という言葉が流行りました。しかし、今日の御言葉で、それらにこだわらない生き方があることが示されています。

 経済格差、地位の上下関係はたしかにあります。一握りの層が、世界中の大部分の富を独占しているとまで言われています。うっかりすると、教会もある意味、そういう図式に蝕まれる危険があるんですねぇ。

 身分の低い人に対して、イエス様はなんとおっしゃられたか、思い出してみましょう。ルカによる福音書6:20以下を開いてみてください。そこで、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今、飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」とあります。貧しい人々は、他の何にもまさって神さまの恵みの近くにいることが明らかにされています。私たちの大多数は、金持ちではありませんから、これらの御言葉には慰められます。欠乏を嘆くより、その境遇にあっても、神さまが守り導いてくださるから大丈夫。ほんと良かったです。

 一方、富んでいる者に対しては、 こう言われています。「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今、満腹している人々、あなたがたは不幸である、あなたがたは飢えるようになる。」そう。富はうつろいやすいのです。草花のように滅び去るからです。日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまうと言われます。現実の厳しさがあります。

 「草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ書40:8) 私たちは目に見えるものを頼ろうとします。銀行通帳の残高を見て「これで大丈夫」と安心したりします。経済基盤の安寧を願って祈ります。けれどもそれだけではOKとはならない。経済の余裕があっても、病を得て体調不良に陥ったら、大丈夫ではなくなります。さらに、心身の状況が厳しくなって、神さまを見失うことすら起きてしまいます。教会を離れてしまう方々がいて、残念でしかたありません。

 私たちは社会的な高さ、低さではなく、神さまの基準によって生きる者でありたいと願います。神さまの恵みは高きから低きへ流れてきます。