あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。
(ヤコプの手紙1:5一8)
「知恵の欠けている人がいれば」とあります。ドキッとしますね。そして、「神に願いなさい。そうすれば与えられます。」と続く言葉にホッと致します。知恵と知識は似ていますが違います。知識は学問的事柄であって、勉学を積み重ねて学び取るべき事柄であると言ってよいでしよう。人によって、知識の把握度、吸収度は違います。頭の良い人、そうでない人の差もあるわけです。けれども、知恵は人生や日常生活に密着したものです。
「何が大事か、何を優先すべきか」といった判断に関係することです。知恵は人生経験によって培われたり、持って生まれたセンスだったりします。
私は先日、この「知恵」を働かせなかったばかりに、お叱りの電話を受けました。ある方に、自分の持っている「知識」で判断し、良かれと思ってアドバイスをしました。しかし、それはその方が抱えていた不安を増すものでしかなかったのです。お叱りは本人でなく、そのお連れ合いさんからで「牧師は平安を語るはずなのに、不安を与えてどうする!」と。
ヤコプはあえて「知恵は神に祈り求めるもの」と言います。
特に、試練から喜びに変えられていく流れのなかで、人生の知恵が示されていくのです。マタイ福音書7章7節以下で、イエス様も「求めなさい。そうすれば与えられる。」とおっしゃいました。そして、「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」と続けておられます。ヤコプはイエス様の弟なればこそ、祈りの姿からそれを確信していました。だからその経験に基づいて、離散しているクリスチャン達を励ましているのです。「とがめだてしない」神さまに願えばいいのです。自分の思いを率直に申し上げればいいのです。むしろ父なる神さまは、それを待っておられる。祈り願うことを望んでおられるのです。
試練によって揺さぶられる信仰は、人生の根幹をなす信仰です。「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。」と言っています。しかしです。私たちは揺さぶられますと、疑い始めます。「心が定まらず、生き方全体に安定を欠く」のです。それを乗り越えて、とヤコプは励ましています。 その秘訣は何か、日々の積み重ねです。いつでも、どこでも、どんな状況にあっても、主なる神さまを信頼し祈っていくのです。答えはすぐに得られないかもしれません。けれども、最終的に「与えてくださる」ことをしっかり覚えて、歩むのです。日々祈って、神さまのみこころを知り、大きな試練に出会っても、転覆することのない信仰の成長につなげましよう。

