メッセージ
だから、こう祈りなさい。 「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように。天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
(マタイ福音書6:9-1 5 )
弟子たちはイエス様と共に生活をして、その知恵と力に驚いていました。そして、その鍵は「祈り」にあることを知りました。そこで「祈りを教えてください」とイエス様に願い、教えられたのがこの「主の祈り」です。
1.父なる神様へ呼びかけ、神様の栄光を求める祈りから始まります。祈りにおいて神様を優先する、これは大切です。主の御名が何ものよりも崇められ、栄光を受けるようにと祈ります。また「御国」、神様の支配がこの世界に実現するように祈ります。そして「御心」が行われるように祈ります。どうしてもわたしたちは自分の思いを優先しがちです。はたして自分は主のみこころに生き、従っているかが問われます。
2.続いてわたしたちの必要を求める祈りになっています。
日々の生活に必要なものを与えてください、と祈ります。
(わたしは幼い時、「にちようの糧を与えたまえ」と唱えながら、日曜ばかりでなく月曜から土曜はどうするの?と思ってました。)
また「負い目」と呼ばれている「罪」が赦されること、そして試練や誘惑、悪から守られることを祈り求めるようにと教えられています。
特に罪の赦しについては、わたしたち自身も神様に赦された者として、人を赦す決意が伴う祈りです。人を赦さないと、神様に赦されていることが実感できないのです。 「難しいなあ」と思わされますが、そうしようと一歩踏み出したとき、「既に赦されている」という神様の恵みの大きさに気づかされます。なんと幸いなお祈りでしょう。
思いがけずコロナウィルス感染拡大防止の為に、礼拝を休まざるを得ません。しかし、礼拝説教要約を皆さんのところに送ることで、家庭礼拝の手引きに従って、 「自分の場所で礼拝出来る」という特別な恵みを与えられました。説教の聖書個所はディボーション誌「マナ」によります。
「祈り」
祈るときにも、あなたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたがたは祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
(マタイ福音書6:5-6 )
今回のテーマは「祈り」です。祈りの本質が示されています。それは、祈りは人に聴かせるものではなく、 神様に対してささげるものだ、ということです。
しかも「隠れたところにおられる」神様。私たちの目には見えないけれども、確かにいらっしやつて私た ちがささげる祈りを聴いて下さる方、それが神様です。
今回のコロナウィルスに関しても「見えないから怖い」と言った方がいます。見えないけれどもその存在 を信じているのです。
それはクリスチャンにとつては「見えないけれども、たしかにいらして、祈りをきいて報いてくださる方」の存在を信じることとも言えましよう。
そしてくどくどと祈るな、とイエス様はおっしゃいます。ストレートに願いを申し上げればよいのです。
牧師としてよく訊ねられることに「祈りの内容はどういうものですか?」ということがあります。それに対して私は「猫とさかな」と答えています。
ね・・・願い
こ・・・告白(自分の罪を告白して赦しを乞う)
と・・・とりなし(家族や友の為に祈る)
さ・・・賛美(主をほめたたえる)
か・・・感謝(請求書ばかりでなく、祈りがきかれたら領収書も発行しましよう。)
な・・・なんでも(そう。なんでも訴えていいのです。)
公同の礼拝を休まざるを得ない、危機的な状況のなかで、私たちはそれぞれの場所で真剣に祈ってまいりましょう。隠れたところにおられる神様は、その祈りをおききあげくださいます。