子ろばに乗って

 

「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。

「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 

                 (マタイによる福音書21:5-9)

 

 2/18にレントに入りました。4/5のイースター前まで、主イエスのご受難の記事を中心に礼拝メッセージを続けてまいります。

 今日の箇所は主イエスのエルサレム入城です。ご受難とはほど遠いほどの歓迎!それは群衆の歓喜ぶりにも表されています。それほどに「ナザレのイエスというこの方は、ローマの圧制下に苦しんでいる私たちを解放してくれる王様になってくれるに違いない」という期待があったからです。 確かにイエス様ご自身、ゼカリヤ9:9にあるとおり王として登場します。「彼は神に従い、勝利を与えられた者」との御言葉が成就した場面と言えましょう。ゼカリヤは国が滅び、神殿再建も中途半端な時代に、「王がやってくる!」という希望のメッセージを語りました。しかし、注目すべきは、軍馬にまたがって颯爽と敵を打ち倒す屈強な王ではなくて、それとは対照的な子ろばに乗る柔和な王でした。

 「柔和な」と訳される言葉には「へりくだった」「苦しめられた」という意味もあります。つまりゼカリヤが預言した王は、武力で支配する王ではなくて、徹底的なへりくだりと苦難によって平和をもたらす王なのでした。預言通り、子ろばに乗ってエルサレムに入城なさったイエス様は、御自分が十字架の苦難とへりくだりによって、平和の福音をもたらす王であることを自覚していたのでした。

 「ダビデの子にホサナ。」と叫び、自分たちの上着を道に敷いて歓迎していた群衆。「ホサナ」とは「どうかお救いください」の意味ですが、ここでは王であるイエス様を出迎える喜びと賛美の叫びになっています。そして「ダビデの子」と叫ぶ背景には、ローマ帝国を制圧し、ダビデの時代のような国を再建してほしいとの願いがあった訳です。

 このように、人々は政治的な指導者を願うだけで、イエス様を神の子、罪と死から解放する救い主として受け入れることはありませんでした。このギャップゆえに、同じ群衆がこの数日後「十字架につけろ」と叫ぶのでした。この群衆と私たちにどれだけの違いがあるでしょう。ともすると、自分の利害を中心に信仰生活を送りがちな私たちです。主の尊い姿をフィリピ2:6-11を読んで、再確認したいと願います。

 「イエス・キリスト 王の王、聖なる御名をたたえます」と賛美しつつ、悔い改めと献身の思いを告白しつつ、レントの季節を過ごしましょう。

 

タイトルとURLをコピーしました