希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
(ローマの信徒への手紙12:12)
あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。
(詩編55:23)
今日は9月の第一日曜日、振起日礼拝です。今年度の教会主題聖句を覚え、たゆまず祈りたくメッセージします。
私たちは忙しい生活を送っています。しかし、「祈りの時」を持つのはそんなに難しいことでしょうか?私は牧師として、祈らないことでクリスチャンはだいぶ損をしているかなぁと思います。「祈り」は、ある方にとっては「願い事があれば祈る」こと。だから、物事が順調に運んでいるなら、ことさら神様に願うこともないか、と思ってしまうのかもしれません。しかし、請求書の祈りばかりではなく、領収書の祈り、感謝をささげるのを忘れてはならないと思います。そして、静まって祈る時に、私たちは他では味わえない「神様との対話」、主にある交わりと慰めを与えられるのです。
一日を振り返ってみましょう。朝、起きて一番に祈りたいですね。
夜が明けるたびに、あなたは「光」に近づいています。決して長々と祈る必要はありません。「神様、感謝します。今日も私に喜びの一日を与えてくださり嬉しいです。どんなことが起こるかワクワクします。主よ、いつも共にいてください。アーメン」でいいのです。もちろん、心にかけている家族や友人のことを覚え、とりなしの祈りを捧げることもOKです。それでもそんなに時間はかかりません。
昼間、どんな時であっても、どこにいても祈りを捧げることは可能です。神様はどこにでもおられ、私たちが祈ることを心待ちにしておられます。
私なぞは、うわぁ~大変だぁ!と感じたとき、即「神様、助けて!」と声をあげます。そうして助けられて75年半、歩んでこられました。
夜、やすむときに祈りましょう。眠りは私たち被造物に与えられた特権です。神様の慈しみにつつまれて安心して憩います。一日の感謝、領収書を差し出す時ですね。私たちは平安のうちに過ごし、喜びの朝を迎えます。
時には祈ることが無味乾燥に思えてしまうことがあるかもしれません。
たゆまず続けましょう。干上がった土地は雨を喜び迎えます。潤い満たされます。祈りは畑に似ています。よく手入れをすると豊かに実ります。
また、何をどう祈ったらよいかわからないという時には「主の祈り」を祈ってください。弟子たちの願いに応えて、イエス様が教えてくださった祈りです。ややもすると単なる収束合図のように、となえることがあるようです。しかし、ひとことひとことかみしめて祈るとき、その言葉の深い意味と神様の愛とに気づかされます。自分なりの方法で祈りましょう。