あなたがたには自分の命がどうなるか、
(ヤコブの手紙4:14-17)
私たちクリスチャンは、主の豊かな恵みを受けていることを知っている者です。今日のところでも恵みを知る者の生き方が示されています。
「今日か明日、これこれの町へ行って云々」する人々に対して言われます。人生を予想し、計画することが否定されているわけではありません。それは健全であり、必要なことです。そういう人は、他人のことを気にして悪口を言ったり、裁いたりする暇はないかも知れません。人と関わるのは無駄、私は自分の人生に専念するというタイプでしょう。けれども、そういう人々が陥りやすい問題もあります。
第一は、「誇り高ぶっている」(16節)ということです。つまり、自慢や自己満足に陥りやすいことです。自分が取り組み、成功したことが自慢なのでしょう。けれども、自分の人生が成功したのは、自らの努力や才覚もあるけれども、そうしたタラントを与えられたことも含めて、神さまの恵みによるものであり、さらには多くの人々の助けによるものだと気づくべきなのではないでしょうか。それがないから「誇り高ぶる」ことになるのです。
もう一つの過ちは、「自分の命がどうなるか、わからない」(14節)こと、そう人生は予測不可能であるのを忘れてしまうことです。私たちの人生を振り返っても、思いがけないことの連続で今の生活を送っていることがわかります。自分の計画が思いどおりにならないことの方が多いのではないでしょうか。人生設計に関してまず、そのことを認めなければなりません。イエス様が語った愚かな金持ちの話(ルカ12:13-21)のように、「今夜、お前の命は取り上げられる」になるかもしれません。
予測不可能な人生において心がけるべきことが二つ。「主の御心であれば」です。自分に対する神さまのご計画に道を譲ること。「どうぞ私に先立ってお進みください」と祈ること、主に委ねることが大切なのです。
幸雄牧師が生前よく言っていたのは「信仰のエキスパートとは、いち早く神さまに委ねることが出来る人だ」です。それを確認しましょう。
もう一つは「なすべき善を知り、行う」こと。今日示されたことがあれば、それを明日に回さない。その日、その日を精一杯生ききるのです。
私たちは神さまから示されたことに尻込みしない。出来そうにないと思ったら、「主よ、助けてください。信仰の勇気を与えてください。実践に必要な知恵と力を授けてください。」と祈るのです。主に祈れば、その祈りは有効になるのです。「求めよ、そうすれば与えられる」アーメン!