だから、兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。
(ヤコブの手紙4:11-12)
4章7節において「神は、高慢な者を敵とし、
恵みを知る者の生き方の第一は、これまでも何度も語られてきた「ことばに関すること」です。具体的には、神から与えられ、賛美のために用いる「舌」(ことば)を互いに悪口を言ったり、裁いたりするために用いないようにしなさい、ということです。ここで、兄弟と言われるのは、血縁関係の兄弟ではなく、神の家族である教会のメンバーお一人お一人です。
もちろんクリスチャンには聖書に基づいて善悪の基準があります。言わなければならない事も、行動しなければならない事も、また聖書から外れたことには、しっかり「否」としなければならないこともあります。しかし、自分たちの判断や言明が、ともすれば非難や攻撃や悪口になったりすることは避けなければなりません。
人を裁こうとするとき、私たちは正しい善悪の基準にしたがって判断していると思いがちですが、その実、自分の好き嫌いによって相手を決めつけていることが多いのです。論理的に見えて、実は感情によって支配されていることがあるのではないでしょうか。ヤコブは、そのように他人の悪口を言ったり、裁いたりすることは、神さまが与えてくれた律法の悪口を言ったり、裁いたりしていることにほかならないというのです。私たちは、裁くことによって律法の下に生きる者ではなく、律法の制定者である神の側に身を置くことになり、それは思い上がった行為なのだと説明します。
人はみな誰しも神さまから豊かな恵みを受けています。だからこそ、裁かずに生きていくように示されています。讃美歌540番の歌詞に励まされます。主イエスの愛で結ばれた兄弟姉妹の姿が歌われます。3節で「共に嘆き、共に泣いて、互いの重荷を担い合おう♪」とあります。そういう私たちの姿をまだ神さまの愛、主イエスによる恵みを知らない方々の前に表していけたら、ステキだなぁと思います。私たちは「裁く」のではなく、「愛し合う」ことが勧められています。舌を用いて「根も葉もある褒め言葉」を言うことが出来たら、良いですねぇ。キリストの愛に生かされている喜びをそういう形で表現できたら幸いです。祈りつつ賛美しつつ歩んでまいりましょう。主は私たちを愛し、守り支え導いてくださいます。