サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの上に王とされたのだ。主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」
(サムエル記上1 5 : 1 7-1 9 )
サウル王の失敗、 その②です。 なぜサウルが王としての資格を奪われ、ダビデが新たに王として擁立されたかを説明する個所です。 彼をむしばみ始めていた神さまへの不従順は、ここでしっかりと明らかにされています。
「罪」とは何でしようか?それは、神さまの御心にそむくことです。
神さまの命令に従わないこと、それに尽きるのです。ですから、私たちもまた「今していることは『神さまがしてはならない』と言っていることかどうか」の吟味が大切です。
「アマレク人を聖絶せよ」とは厳しい命令です。遊牧の民アマレク人は、エサウの子孫でしたが、神さまを畏れず、出エジプトの際には、疲れて弱っていたイスラエルの民を背後から襲い、落伍者を切り倒すという卑劣な行為をしました。その時からすでに二百年ほど経過していますが、ここで神さまはサウルに、その刑罰としての「聖絶」を命じられたのです。
神さまへの献げ物として、容赦なく滅ぼし尽くせと。
サウルは戦いをしかけ、勝利します。ところが、サウルの不従順が表れ、彼はアマレク人の王アガグ及び上質の家畜を惜しんで聖絶しませんでした。つまらないもの、値打ちのないものだけ滅ぼしました。
サムエルは、サウルに会う前にその不従順について知らされていました。神さまはサウルに失望し、「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ」とまで告げました。サムエルも心を痛め、世を徹して祈りました。しかし、そのサムエルの怒りや悲しみを知らないサウルは、 カルメルに戦勝碑を立てて、自分自身をたたえています。サムエルに聖絶しなかった事実を指摘されると、サウルは責任を兵士に転嫁して、これら最上の家畜を残したのは主の供え物とするためだと言い逃れをしています。
サムエルが主から語られたことを告げますが、なおも先の主張を繰り返します。けれども服従の伴わない供え物は、主に喜ばれません。後に預言者アモスは広義を欠いた献げ物は顧みられないと言います。(アモス5章)
さすがにサウルは権威あるサムエルの言葉を聞いて、自分の罪を率直に認めざるを得ませんでした。(24節以下)サムエルの言葉はさらにむち打つように響きます。「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる。」(28節)サムエルのサウルに対する思いは、主イエスのイスカリオテのユダに対する思いに近いようでしょう。 今こそ 「主の御心に従います!」 と祈り願っていきましょう。