サウルが牛を追って畑から戻って来た。彼は尋ねた。「民が泣いているが、何事か起こったのか。」彼らはヤベシュの人々の言葉を伝えた。それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた。「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる。」民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した。 (サムエル記上11:5-7)
アンモン人によって攻め込まれたヤベシュの人々は、和平を結ぼうとしたら、無理難題を押しつけられました。敗北した捕虜が受ける残酷な仕打ち以外に道はないとのこと。ヤベシュの長老たちはイスラエル全土にこの悪い知らせを伝え、救いを求めました。この知らせを受けて、ギブアの人々は声をあげて泣き出しました。王に選出されたといえ、当時ごく普通の農夫として生活していたサウルは、事の次第を聞いて、神の霊の注ぎを受けて激しく怒りました。そして、受け取ったすべての者がショックを受ける品物(切り裂かれた牛の死体の一部)を各部族に送りつけて、非常招集をかけました。民も主への恐れにかられ、一丸となって出陣しました。援軍が来ると聞いたヤベシュの人々は喜びます。
サウルによってアンモン人は打ち負かされ、脅威は取り払われました。主が救いのわざをなしてくださいました。この勝利を受けて、サウルを王とみなさなかった人々を殺そうという声が出ました。しかし、サウルは「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから。」と言いました。ここにサウルの寛大さと謙遜を見ることが出来ます。そして「さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう。」そして民は全員でギルガル(約束の地に入った民が割礼の儀式を行った記念の地)に向かい、サウルを王として主の御前に立てました。人々は主の前に礼拝をささげ、大いに喜び祝いました。
ここのポイントは、
①非力な民に救いを与える神さま
②その働きは、神さまから選ばれた指導者によって実現する。
③神さまに用いられた指導者も、決して高慢にならず謙遜である。
④神さまに栄光を帰し、礼拝をささげる。
私たちの人生にも、ヤベシュの人々が陥ったような危機的状況が起こるかもしれません。(Ⅰペトロ4:12)その時、すぐに主に頼るか否かが決め手になります。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださるからです。」(Iペトロ5:7)
主に委ね祈っていく。状況が好転したら素直に感謝する。或いはすぐに好転しないかもしれないけれど、「主は救ってくださる」の信仰を抱いて、希望をもって生きていく。私たちの生活の主軸に、神さまをおくことが一番大切です。事ある毎に「主よ、救ってください!」祈って生きましょう。