喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。(詩編100:2)
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(Ⅰテモテ1:15-17))
クリスチャンとはどういう人を言うのでしょうか?罪を犯さない完全な人の集まりでしょうか。いいえ。もしそうならば、行いが完全な人しか救われないことになります。クリスチャンとは、イエス様を救い主と心から信じる人たちです。言い換えれば、イエス様の救いにあずかって、何が罪であるかをよく認識できるようになった人たちです。パウロがテモテに送った手紙でも、「わたしは、その罪人の中で最たる者です。」と言っております。そう。ありのままの自分を見つめ、悪いところを素直に認め、主に直していただくのです。そうすることで、同じ罪を何度も犯すことはなくなります。まことの悔い改めは、同じ罪から私たちを守ります。
逆に罪を隠す時、私たちはファリサイ派の人々のように、他人を赦せなくなり、さばきます。もし人をさばく心があると知ったら、自分の中に隠れている罪があると気づくべきではないでしょうか。罪を隠せば隠すだけ他人をさばきます。自分の罪が赦されていないので、他人も赦せないから。悔い改めの恵みは、主を愛する道であり、他人を神さまの愛でもって愛せる道でもあります。
「賛美」はかたくなな心を砕きます。「賛美」には、悔い改めに導く力があります。それは、賛美にメロディーがあるからです。自分の気持ちにあったメロディーは、人の気持ちをホッとさせます。賛美はメロディーで感情を受容しながら、かたくなな心の扉を少しずつ開き、そこに神さまのメッセージを歌詞として心に運び込みます。信仰の種が心の中に賛美の言葉を通して蒔かれます。そして、悔い改めの恵みへと花咲くのです。
賛美する時、あらかじめ決められた歌詞を歌うわけですから、本人の意思にかかわらずその言葉を告白しなければいけません。だからこそ、賛美を通して自分を変えるチャンスがあるということです。心から大きな声を出して賛美することで、歌う本人のセルフイメージを変え、信仰の土台作りがなされるのです。
神さまを信じる私たちには、私たちを変えてくださる方がいつも共におられます。そう。主イエスです。主を賛美することで、私たちは外側のセルフイメージを変えていくと同時に、主は賛美する私たちの内面を癒やし、変えていってくださいます。どうぞ、思いっきり声をだして、心から賛美してみてください。賛美がもたらす恵みを共々に体験致しましょう。