日本キリスト教団常陸大宮伝道所

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手をみなさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

                                        (ヨハネ20:24-28)

 復活された主イエスは、またも弟子たちの前に現れました。今度はトマスもおりました。不在で主イエスに出会えなかったトマスは、復活したことを信じておりませんでした。「指を釘跡に入れなければ・・・」と言ってました。実証主義というのでしょうか、自分で確かめなければ信じることが出来ないというのです。また、他の弟子たちが会えたのに、自分は会えなかった、ということで拗ねていたのかもしれません。意外と、この「疎外感」で人は自ら傷を深くしてしまうものです。

 主イエスは「シャローム」と声をかけられました。平安あれ、ですね。そしてトマスにわざわざ声をかけられます。「あなたの指をここに当てて・・・」とトマスが納得するように、声がけしたのです。よく「百聞は一見にしかず」と言います。実証してみなさいというのです。

 しかし、トマスは「どれどれ そうしましょう。」と応えませんでした。ここで、信仰の告白「わたしの主、わたしの神よ」を言っております。畏れるべきお方がここにいらっしゃる!復活の主こそ、わたしの神だと表明しております。

 私たちはいかがでしょうか?トマスと同じような実証主義に陥りやすい自分を経験してはいませんか。「百聞は一見にしかず」に支配されてしまうのです。しかし、信仰の世界は「百見は一味にしかず」です。え?何を味わうの?私たちは聖餐式を体験しています。主が十字架におかかりになり、私たちを奴隷の身分から贖ってくださった。その恵みのしるしを毎月、この舌で味わい、主がなしてくださった「罪の赦し」を確認するのです。

それは二千年の時を経て、真実であります。見ずとも信じることが出来る、教会が伝統的に行ってきた喜びのわざです。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」と主イエスはおっしゃいました。

 ヨハネ福音書の目的は「イエスは神の子メシアであると信じるため、信じてイエスの名により命を受けるためである」と記されています。あなたにとって、主イエスが与えてくださった「命」を豊かに生きるとは、どういうことでしょうか。「父よ、私を、御子を信じることで与えられた命を豊かに生きる者としてください。」

 

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