「しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることでなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
(ヨハネ17:13-17)
イエス様の祈りの言葉、「大祭司の祈り」の2回目です。
先週読んだ17:11にこうあります。「わたしは、もはや世にいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」との祈りです。
イエス様は、自分がこれからどうなるかを知っており、その後に起こる弟子たちの身を案じています。弟子たち自身は何が何だか、これからのことをイエス様が話されても、理解しかねたようです。だからこそ、これから起こることの中で、愛する弟子たちが守られるようにと願い、切に祈ってくださっているのです。この「イエス様に愛されている、祈られている」という感覚を現代に生きるクリスチャンである私たちも持ちたいと思います。イエス様つながりを覚えて、私たち自身が祈れば、その確信はいよいよ深まるかと思います。
そして、ここで注目したいのは、イエス様と弟子たちの関係は御言葉を仲立ちとして出来たものであるということです。御言葉が語られ、それが聞かれている。その一点に主と弟子たちの結びつきがあるのです。弟子が弟子たるゆえんは、その品性や性格によってではないのです。(あらまぁ、そうなんですねぇ。と安心する方もいらっしゃるかもしれません。)
主が語り、弟子たちが聞いている。そこに新しい世界が出現しています。
そして「世に属していない」という価値観に支えられています。ある意味、この世に「属している」のであれば、周りの誰とも摩擦を起こさず生き易くなるのは分かりますよね。しかし、主が伝えた「真理」によって、「聖なる者」とされる。その価値観は、信仰をもっていないとなかなか分かりにくいことです。ある意味、分かってもらえないというか、時には「世は彼らを憎みました」という事態になるわけです。けれども主イエスは祈っています。「彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」これは主の祈りにも通じている言葉です。「我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ」です。
私たちには常に悪との戦いが強いられます。しかし、イエス・キリストがまず私たちの為に祈ってくださったことを覚え、感謝していきましょう。