日本キリスト教団常陸大宮伝道所

ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

(ヨハネ16:22-24)

 イエス様は自分が去るということを前提に、弟子たちを思いやって言葉がけをしています。まだ弟子たちはイエス様がこれから去ることについて具体的にイメージが出来ません。だからこそ、イエス様は弟子たちを励まそうとしております。イエス様は弟子たちが尋ねたがっているのを知っていて、状況を話されました。「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(20節)と。

 弟子たちは悲嘆に暮れます。イエス様が彼らのもとから取り去られるからであります。しかし、その悲しみは喜びに変えられます。どうしてそう言えるのでしょうか。それは、主イエスが弟子たちの罪を贖って、死からよみがえり、彼らに再会されるからです。それも単なる再会ではありません。「罪赦された神の民として」主に出会うのです。私たちは状況が良いと喜び、逆に悪いと悲しみます。多くの場合、その状況如何による、というところに縛られがちなものです。しかし、主が与えてくださるのは、そういう個人的な事情を超えた喜びです。主がなしてくださった「十字架による罪の赦し」ゆえに、喜べるのです。私たちの状況はどんなであれ、主が十字架にかかってくださることを通して得られた「罪の奴隷からの解放、自由人として生きる喜び」この喜びの再会の中で、教会は今も生きています。使徒信条を言い表すことを通して、私たちはそれを確認致します。礼拝は主がなしてくださった十字架の恵みを再確認する場でもあります。

 

 さて。主はもう一つ大切なことを弟子たちに言い残しました。「主の名によって父なる神に願いなさい」ということです。イエス様は、私たちが父なる神様に求めることは何でも与える、と約束しています。そのために私たちが学ぶことは、イエス様の名によって、つまりイエス様のために、その思いにそって求めることです。聖霊が私たちの祈りを導いてくださいます。私たちの祈りが「主イエスの御名前によって祈ります」と最後に閉じられるのは、その為でもあります。イエス様がとりなしてくださるのですから、なんにも恐れ惑うことはありません。「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」とイエス様は弟子たちを励ましています。そして、現代に生きる私たちをも励ましてくださっています。

祈らにゃそん、そん!ただただ祈り願えば良いのです。それが御心にかなうならば、すぐに聞かれます。祈り願い、喜びを味わいましょう。

 

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