日本キリスト教団常陸大宮伝道所

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

             (ヨハネ福音書15:5-7)

 有名なぶどうの木のたとえの箇所です。「わたしはまことのぶどうの木」と主は高らかに宣言されます。そして「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(15:4))とつながることを強調されています。

 どうでしょうか?あなたは「主につながっている」という実感がありますか?ここで言われているのは一方通行のつながりではなく、双方向のつながりが問題とされています。主イエスからの手が差しのばされて、私たちをとらえます。また私たちの手が伸ばされ、主イエスの手を握ります。そのように双方が結びつくことによって枝は実をみのらせるのです。私たちの実力や良い性格が実をみのらせるのではありません。こういうことを聞きますと、この中には安心する方がいらっしゃるかもしれません。(笑)大切なのは、キリストという木につながってこそ、豊かに実を結ぶことが出来るということなのです。

 ふりかえって、私たちの生活の中で、主イエスと「お互いの手を握り合う」という体験をどこでしているでしょうか?私自身は、毎朝の祈りの中で、それを実感しています。だからこそ、「聖書を読んで祈る。そして賛美する♪」まずは信仰生活の基本をお勧めするのです。

 7節では「望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」と言われています。注意しましょう。主は私たちの欲望を何でも満たしてくれるわけではありません。主イエスのことばにとどまりながら、求めることを学んでまいりましょう。「主よ、みこころにそって祈ることを教えてください。」と祈るばかりです。

 また9節では「わたしの愛にとどまりなさい。」と言われます。これは主イエスからの愛の招きです。父なる神様がイエス様を愛したのと同じ愛で、イエス様は私たちを愛してくださいます。何という恵みの中に私たちは招かれているのでしょうか。私たちはただ、主の愛を信じて、とどまり続ければいいのです。主の愛にとどまるとは、主のことばにとどまることです。私たちの今までの人生の中で「主が私を愛してくださった」という経験をした出来事を思い出してみましょう。そして主の恵みを深く味わって、前を向いて歩き出しましょう。ハレルヤ!

 

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