日本キリスト教団常陸大宮伝道所

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

               (ヨハネ福音書12:3-8)

 

 千載一遇のチャンス、という言葉があります。またチャンスは前髪だけで、後ろ髪がないので、出会った時に掴まなければ後にはチャンスはない。

そういう意味で、ここでマリアがした行為はイエス様がほめていたように、後には出来ないことでした。それは度肝を抜く行為でありました。高価なナルドの香油でもってイエス様の足を塗り、自分の髪でその足をぬぐったのですから。家は香油の香りでいっぱいになったのです。

 私たちクリスチャンはこの美しい話にうっとりします。マリアがその持てる最も高価な物を死に赴くイエス様に全て捧げて、愛と感謝と献身の一切を尽くしていますことに。この行為に見習いたいと憧れてしまいます。

だからこの香油でもって、貧しい者に施しが出来るのにとか、何百人もの命が救われるのに、というふうな業のあり方に心が向いてしまうことを警戒したいと思うのです。弱い私たちの罪を担って、十字架につかれた主を裏切ることになるのですから。

 誤解しないでほしいのは、決して聖書は貧しい人々に施すことを禁じているのではないのです。貧しい者はいつもいるのですから、いつでもそうしようとすれば出来るのです。教会はそういう愛の業をいつもすべきなのです。しかしそれが「三百デナリで売れる」から貧しい人々を救える、という数字で置き換えてしまうのは避けたいのです。私たちを罪の奴隷から解放し、死から命へと復活させてくださる主イエス・キリストへの感謝、主イエス・キリストの十字架の死への感謝、この感謝をまず心に刻み込むように、と言っているのであります。

 

 マリアはナルドの香油を、イエス様の葬りの日のために準備していたかもしれません。しかし、彼女は、イエス様が死んだ後にではなく、生きている今、捧げました。愛するイエス様の為に、長い時間をかけてためたお金で買い備えた香油。それを捧げる最後のチャンスを、マリアは逃さなかったのです。

 あなたがイエス様の為に、今、使うことが出来るものは何ですか?

「主よ、今生きているあなたに仕えることが出来ることを感謝します。」

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