希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
(ローマの信徒への手紙12:12 )
また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」
(ルカ福音書11:5-9)
2024年度の教会主題聖句ローマ12:12の3回目です。
「たゆまず祈りなさい」であります。
「祈る」ということは、人間が生きていくうえで、何かが起きた時に必ずそうする、大切な行為であります。そしてクリスチャンの幸いなことは、祈る対象がどなたであるかが明瞭であり、またその方が祈りを聞きあげてくださると信じられることであります。
しかし、そうわかっていても、ついついおろそかになってしまいがちでもあります。ですから、私はまず皆さんにお勧め致します。
絶えず祈る。その為の特別な時間を作る。身体のトレーニング同様に、魂にも決まった練習が必要です。あなたは、一日のうちどの時間帯を祈りにあてているでしょうか?それぞれの日課のどこに組み入れるか、最適な時間を決めて祈りましょう。
それから毎日続けていくなかで、祈りが無味乾燥に思えることも経験致します。しかしですねぇ。それだからこそお勧めいたします。たゆまず続けることです。干上がった土地であれば、なおのこと雨を喜び迎えます。恵みの雨が降り注ぐ、その経験をすることも素晴らしいことです。
祈りについて、以前の説教で3つの答えられ方がある、と申しました。
一つはイエス、すぐに聞かれる祈りです。これは「祈って良かった~!」と実感出来る、幸いな答えられ方であります。
二番目はノー! です。答えられない祈りです。なぜ答えられないのか、それを考えてみる必要があるかもしれません。神さまのみこころに添った祈りは聞かれます。だから聞かれないとしたら、その内容がみこころでないのかもしれません。(自分の欲望を満たすたぐいのものだったかも。)
さらに三番目、ウェイト(待て)です。すぐには答えを得られない祈りです。しつこく祈ることが求められています。だからこそ、祈りましょう。