だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。
(ヤコブの手紙5:16-18)
「安易に誓わない」「苦しい時には祈り、喜びの時には賛美しよう」と教えられた後に、「互いのために祈りなさい」との勧めがなされています。
私たちは密室の祈りをささげます。しかし、その限られた空間の中で祈るばかりでなく、信仰者同士の交わりの中で「互いに祈る」素晴らしさに触れているのです。前にもお話しましたが、常陸大宮チャベルでの礼拝において、祈る機会が一度ならず二度、三度とあります。
まず、礼拝の中で司式の任にあたる教会役員が「公同の祈り」を献げます。会衆一同、その祈りを聞き、最後に「アーメン」(その通り)と唱和します。礼拝の半ばで、説教を聞いた後で、報告の時間が設けられています。その最初に年間主題聖句を唱和して、その後「短く主に祈りをささげましょう」と促され、めいめい黙祷の形で祈りをささげます。(声に出して祈っても良いと思いますが、それを推奨すると人の祈りの声が気になって自分の祈りが出来ない、または他人の祈りに負けないように声を張り上げて祈るようになり、ざわついた時間になってしまうので、ここではそれを勧めていません。各自の祈りを大切にしています。) そして、献金の後で「主の祈り」をささげます。これは神様への応答にあたります。♪まごころこめささげます、このたからとこのわたし。主なるかみよ♪と賛美して、祈ります。招きに応えて生きる姿勢を表します。
そして最後に、礼拝直後2、3人のグループを作って祈り合い励まし合います。ここで、信仰の友垣が築かれます。時には、自分の信仰を顧みて「罪の告白」があるかと察します。(聞いた内容を言いふらさない必要が出て来ます。)
「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」とあるように、祈りの効果が期待出来ます。エッ!「正しい人の」ですよね。自分なんかとてもとても、と思う方がいるかもしれません。そこでヤコブは旧約の預言者エリヤの例を引いて、「同じような人間でしたが・・・」と言います。その意味合いは、「エリヤと同じように私たちも正しい人なんですよ。ですから私たちの祈りには力があると確信していいんですよ」ということに力点が置かれています。
私たちは主の十字架によって「義とされた一人ひとり」です。自分の功績によらず、ただただ主イエスの恵みによって罪から解放され、喜んで生きることが出来るようになりました。決め手はあくまで主イエス・キリストです。主への信仰を言い表しているならば、「正しい人」となり、大きな力をもち、効果がもたらされるのです。私たちは、つぶやいたり、独り言を言ったりするのではなく、神様に祈る、兄弟姉妹のために祈る、という素晴らしい務めを与えられています。キリストにあって義とされた者として、恐れることなく、怠ることなく、互いのために祈りの奉仕をし続けていきましよう。それを可能としてくださる主が私たちを守り、導き支えてくださいます。讃美歌499番にあるように ♪暗闇に光、涙に喜び もたらす器とならせてください♪