兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
(ヤコブの手紙5:9―11)
「幸せな生き方」そう。それが聞きたいと誰しも思います。ヤコブが示すのは、辛抱と忍耐をすることによってそれが可能になるということです。ああやっばり忍耐なのか、とうなだれる私たちですが、もう一度しっかりとヤコブが書き記した言葉に耳を傾けたいと思います。
前に4:11で「兄弟の悪口を言うな、裁くな」と他人を攻撃しないように言われました。今回は、「互いに不平を言わぬこと」と、つぶやいたり、嘆いたり、ぼやかないようにと言われています。こうしたつぶやき合いは、困難な中に置かれているから生じることでしょう。そこで、旧約の預言者たちを思い、模範としなさい、彼らは困難な中で忍耐したではないか、と教えるのです。ただし、預言者たちが苦難の中に置かれた理由は、「主の御名によって語った」ことにありました。
苦難にはこれから述べるような種類があります。
- 生きている以上、信仰者であろうがなかろうが、突然襲う災害や病気
- 自分のミスによって招いてしまった苦難(交通違反切符をきられる等)
- 信仰のために受ける苦難
苦難の例にヨブがあげられます。また主の御名によって語ったがゆえに苦難にあった預言者エレミヤがいます。彼は主の言葉はもう語らない、と思っても「主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てました。わたしの負けです。」(エレミヤ20:9)と訴えています。ヨブも友人たちに答えるようでいて、神さまに訴えています。ヨナなどはもっと露骨に不平を訴えています。実は、信仰者が人に対して不平や愚痴を言うのではなくて、真剣に神さまに訴えるとき、神さまは受けとめてくださるのです。
神さまは、信仰者の忍耐を受けとめてくださり、祝福を用意しておられます。ただし、神さまの祝福はこの地上のことに留まらず、むしろ永遠の祝福を約束しておられます。無神論者に言わせれば、宗教は現実から目をそらさせる麻薬のようなものだと。しかし、クリスチャンは、永遠の世界での祝福を信じています。私たちはもっと神さまに訴えていきましよう。
自分のつらさ、生きる厳しさ、どうにもならない種々雑多のことごとを。真剣に訴えていくとき、主の慈しみ深さ、憐れみの深さを体験できるのです。その幸せを味わい、主に信頼し、喜んで生きていきましよう。
「人間に頼るのをやめよ。鼻で息をしているだけの者に。」(イザヤ2:22)
「主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。・・・主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば豊かにしてくださる。」(イザヤ55:6-7)