富の用い方

メッセージ

 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。

                      (ヤコブ5:1-4) 

 ここでヤコブが富の問題を取り上げているのは、決して一部の人々を裁き、その人々を不快な気持ちにさせ、一方で富んではいない人たちの溜飲を下げさせるためではありません。

 実際、富の問題は裕福な人たちだけの問題ではないのです。私たちには、金持ちを批判するヤコブの言葉に溜飲を下げたい気持ちもありますし、逆にヤコブに批判されてもいいから、金持ちになりたいという願望もあります。富の問題は金額の多少ではなく、皆が自分のこととして聞く必要があります。ヤコブが指摘する富の問題とは?

 まず、富はとどまるものではないということです。「金は天下の回りもの」という言葉もあるくらいです。羽振りが良かったのが冷え込んでしまって、金策にかけずりまわる羽目になったことなど、よく聞くところです。

 次は、富が錆びて腐り、最後の審判の時には自分の罪深さの証拠となる、ということです。最後の日に裏切られる為に財産を蓄えていたようなものだというのです。うーん。この捉え方は厳しいですねぇ。

 さらには、富を正しく用いないゆえに、苦しめられる人々が生まれ、その声が万軍の主の耳に届いているというのです。共に生きる人々を敵にまわしてしまった、という人間関係の破綻を問題視しています。

 こうして富の問題を通して、永遠の世界にまで思いを向け、今の人生で神さまの前に恥じることのない生き方をしなさい、と勧告しているのです。

 では、どう生きたらよいでしょうか。主イエスが語られた「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(マタイ6:21)を思い出されます。富自体は、善でも悪でもありません。問題は、富が私たちの心を引き寄せてしまうことです。そして、他人を搾取することまで起こってしまいがちなことです。マザー・テレサは愛にあふれた実践の人でした。彼女の働きを支えた多くの「富める人々」がおりました。富んでいること自体が問題なのではなく、それをどのように正しく用いるかが問われてます。 ここまで、神さまの恵みを知っている者の生き方を学んできました。

①互いに悪口を言ったり、さばき合ったりしないこと。

②自分の人生の主権を神さまに委ねること。

③宝のあるところに心があることを覚えて、富の多少はともかく、主を愛し、自分の人生を喜び、他の人々を愛する「心」が奪われてしまわないように配慮すること。 主にそれらを願い祈っていきましょう。