だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、
(ヤコブの手紙4:7-10)
私たちは人生の大切な場面で、神さまの導きに従うか、それとも悪魔の誘惑にのってしまうか、選択を迫られることがあります。二つの間で引っ張り合うというのは、まさに思い煩うことになるんですね。ヤコブは神さまに従うように、と勧めます。私たちの生きる姿勢がどちらを向いているか、それが肝心なのです。そして必要なのは、自分をコントロールする、感情を抑えるとかいうことではなく、神さまに積極的に関わりをもつことで、解決に導かれるというのです。
悪魔の攻撃の特徴は次の通り。①誘惑(肉の欲、目の欲、時には向上意欲まで) ②告発(お前の罪は赦されるようなものではないと囁く)
③惑わし(神さまは本当にそんなことを言ったのかと疑問を抱かせる)
④むさぼる(私たちの肉体や精神を傷つけようと攻撃する)
そういった攻撃に対処するには、誘惑に背を向ける。そして「私はキリストによって救われている」と明言することが大切なのです。その際、自分は自分の主人ではない、神さまに従う者だとはっきり自覚することが大事なのです。神さまの後について行く。そういったしもべの姿勢をここでは教えています。もし私たちが、神さま側の一員であることをしっかり自覚すれば「悪魔はあなたがたから逃げて行きます」となるのです。
続いて「神に近づきなさい」と勧められています。至聖所に入れるのは、清めを受けた祭司職のみ可能とされた時代には、かなり大胆な言い方です。
神さまは罪人から遠く隔たったお方でした。しかし、主イエスが十字架にかかり、罪の贖いを実現することによって、道は開かれました。今や私たちはキリストを通して神さまに近づくことが出来ますし、神さまが恵みを携えて私たちに近づいてくださる幸いを喜ぶことが出来るのです。
また「心を清めなさい」とあります。儀式を司る祭司がそうであったように、礼拝においてそれが実現します。主によって整えられるのです。
続いて「悲しみ、嘆き、泣きなさい」とあります。主イエスの山上の説教「幸い」(マタイ5:3-12)を思い起こします。自分は神さま抜きで何でも出来る、というような高慢にならず、主イエスが指摘した「幸い」を覚えることが出来たら、なんと素晴らしいことでしょう。そして「悲しみを喜びに、憂いを明るさに変えてください。私の心のあり方には、あなたのお取り扱いが必要です」と告白し、祈り求めてまいりましょう。神さまの前にへりくだり、すべてを委ねて祈り、主に導いて頂きましょう。