あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
(ヤコプの手紙4:2ー3,5ー6)
「ヤコプの手紙」は、信仰の証しとしての行いの大切さを教えています。では、信仰があれば、行いも終始見事にふるまえるかというと、決してそうではないことも指摘します。「わたしたちは皆、度々過ちを犯す」(3:2)といいます。そしてことばの失敗について語り、同じ舌から賛美と呪いが同時に出てくるような、人間の存在の悲しさについて語りました。
そして4章に入り、お互いの間にある争いについて語り、その原因を考察し、神さまのみこころに添う大切さを示していきます。
まず争いの原因は、それぞれの心のうちにうごめく欲望だというのです。心のうちに欲望があり、それが得られないと争いや戦いになっていくのです。ただ、ヤコプはここで「欲望を抑えなさい」という禁欲的な生き方を教えてはいません。むしろ逆に「求めない」ことに原因があるのだと語ります。求めず、欲望を抱かず、禁欲的な生き方をして自分の心の嵐を静め、争いが噴出しないようにせよ、という解決法ではないのです。積極的に求めることによって争いの原因を解決せよ、というのです。ただし、その求め方については、自分の楽しみのために使おうと間違った動機で願い求めてはいけないと言います。求める動機が間違っているから、争いの原因となるわけです。そこから、私たちの思いを神さまに向けさせるように、話をもっていきます。「世の友となることが、神の敵となる」(4節)
世には幾つかの意味があります。①神さまがお造りになったこの自然界 ②神さまが愛してくださっている世(私たち) ③悪と罪の原理によって動いているこの世界
この世の原理によって求めるのではなく、神さまを愛し、従い、みころにかなう生き方をしようとする方向で求めていくのです。それは、私たちが神さまに向かう前に、神さまが私たちを愛して、私たちに向かってくださるからです。「神はわたしたちの内に住まわせた霊をねたむほどに深く愛しておられ」とあります。神さまが、私たちに入れ込んでいることがわかります。それほどに愛されている私たち。神さまを神さまとして崇め、へりくだって生きるときに豊かな恵みが与えられるというのです。
争いのまっただ中では、どうしても自己中になりがちです。しかし、間違った動機でなく、神さまに解決を求めていく。そこに恵みがあります。