喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。(詩編100 : 2)
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
(ローマの信徒への手紙10:10)
教会年間主題が「賛美」これまでも様々な視点から賛美について御言葉の解き明かしをしてきました。さて。皆さんにお尋ねします。
賛美の効果って何でしようか?
①大声を出すので、自分を解放することになる。
まぁ、カラオケ効果といったらいいでしょうか。賛美といえば声を出すこと。そして思いっきり歌うことで、自分をしばりつけていた枷を断ち切ることが出来るように思われます。しかし、下を向いてこの讃美歌をこんな風に歌ったらどう思われようか?なんて心配してる人には当てはまらないかもしれません。
②賛美の歌詞によって、思わず信仰の告白をすることになる。
賛美は、会衆みんなで同じ歌詞を歌います。時には自分の感情に添わない言葉を告白しなければならない時もあります。しかし、ピンチはチャンス!たとえば、落ち込んでいる時に「私は主に愛されている♪ 」という歌詞の賛美をするならば、感情ではそう思っていなくても、それを口にすることで変化が訪れます。歌詞の言葉がそのまま信仰の告白となり、自分自身でそれを感じ取ります。そして、いつしか落ち込んでいた心が主によって癒やされるのです。
③自分ではなく、神さまを大きくするようになる。
私たちはつい、自分が他人からどう見られているか、どんな評価をされるだろうかと心配します。そこで、つい自分自身を見映えよく見せようとします。イエス様はおっしゃいました。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」(マタイ6:1-2)
偽善者という言葉には「演じる」という意味合いがあります。真心でなく、演じてしまう。それは最終的には自己完結で、神さまの恵みからほど遠くなってしまいます。しかし、賛美することで、そういうことに陥りやすい愚かな自分が「神さまの愛の広さ深さ」に触れて、自分にこだわることをしなくなります。むしろ神さまの偉大さを誉め称え、喜びの源がそこにあることに気づかされます。ちっぽけな自分に終始して、袋小路に入ってしまうのでなく、天窓が開けていることが分かります。賛美の歌詞に心開かれ、目を上げて、主を仰ぎ見て、すべてを委ねて生きていきましょう。