日本キリスト教団常陸大宮伝道所

 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べ物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

                                        (ヨハネ21:3-6)

 弟子たちは漁師にもどっていました。しかし、一晩中働いて、何の収穫もありませんでした。岸に戻ってみると、そこに主イエスが立っておられました。偶然立っておられたのではありません。弟子たちを待って、立っておられたのです。

 一生懸命に働いたにもかかわらず、収穫は何もない。そういうこともあります。つまずいたり、失敗したりして無一物で帰ってゆかなければならない岸辺があります。その岸辺に、主イエスは立っていてくださるのです。失意の中にいる私たちを迎えるために。失意のなかでこそ、得ることの出来る再出発の地点があるのです。つまずき倒れないように、守り支え、導いてくださる主が湖畔で会ってくださいます。

 復活の主は再び網を打つように弟子たちを促します。ルカ福音書5章に

同じような場面が出てきます。主イエスが「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモン・ペトロは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった、とあります。

 ここでも、復活の主のもとで、弟子たちは網を打ちました。収穫が多くて引き上げることができませんでした。ルカ5章の出来事を鮮烈に思い出した弟子たちは、岸辺の人物が主イエスであることが分かりました。ペトロなどは、あわてて上着をまとって湖に飛び込んで、主イエスのもとへと急ぎました。そんな弟子たちを迎えるべく、主は炭火をおこしていました。

必要なパンも備えてあります。今、何が必要か、主はそれを分かって備えてくださるお方なのです。なんと素晴らしい!!

 私たちもまた、同じような経験をすることがあります。私たちの労苦、祈りに収穫が見えない、そんな不安や焦りにとらえられることがあります。しかし、復活の主イエスのもとで、労苦は応えられ、祈りは聞かれるのです。そして、収穫が多すぎて網を引き上げることができないぐらいになります。ガリラヤ湖畔に出向いた主は、弟子たちを思いやり、また新たな使命へと導かれました。私たちもまた、たゆまず進んでいきたいものです。

 

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