日本キリスト教団常陸大宮伝道所

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。                                     (ヨハネ19:28-30)

 兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た。・・・また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。      (ヨハネ19:34,37)

  イエス様の最後のお姿が記されております。

イエス様は十字架の上で、私たちの罪のために渇いた者となってくださいました。御父に愛されたひとり子として栄光に満ち満ちていた方が、御父の前で渇きを味わったのです。この時イエス様が経験した渇きは、どのようなものだったでしょうか。聖書の言葉が実現した、とありますのは詩編22:16です。「口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。」いかに十字架上の姿が惨めなものであったか、うち捨てられたとあるようなものであったか、が現されております。讃美歌#280の3節「すべてのものを与えしすえ

死のほかなにも むくいられで」と歌われている場面です。

 そしてイエスさまは「成し遂げられた」とおっしゃいます。主イエスの十字架により、決定的なことが成し遂げられたのです。私たちのすべての罪をご自分が背負い、御父のすべてのさばきを受けてくださったのです。ここに私たちの救いが「成し遂げられた」のです。「主よ、私たちの救いを成就するために、あなたはどれほど苦しんだのでしょうか」と思い、胸がしめつけられるようです。

 

 イエス様が息を引き取られた後、兵士はイエス様の死を確かめるために槍でその体を刺しました。預言通りのことが起きました。詩編34:20-21「主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し 骨の一本も損なわれることのないように彼を守ってくださる。

 私たちはこの個所を何気なく、そんな死の確認方法があったのだと読み過ごしてしまいがちです。しかしどうでしょうか。イエス様の体を突き刺したのは一兵士ではなく、本当は私たちの罪であります。私たちの罪の鋭い矛先が、救い主の体を貫いたのであります。自らが突き刺した方に相まみえて生きている。考えてみればそれが私たちの信仰生活であります。

十字架を仰ぐとはそういう意味も含まれています。私たちは十字架につけられたキリストを証しして生きる一人一人となっていくのです。レントの季節、心して生きたいと思います。主御自身に励まされて。「主よ、十字架につけられたきリストを宣べ伝える信仰の勇気をお与えください。」

 

▶連絡先

常陸大宮チャペル


〒319-2256 茨城県常陸大宮市田子内町3199-5 Tel&Fax:0295-52-3714

牧師:二宮 めぐみ


▶ブログ

常陸大宮の風

https://hitachiomiyawind.blogspot.com/



日本キリスト教団勝田教会
(パートナー教会)


〒312-0052
茨城県ひたちなか市東石川3丁目5番1号
Tel:029-274-0181 Fax:029-274-0169
ショートメッセージ:029-274-4919

牧師:鈴木 光
牧師:綿引久美子