日本キリスト教団常陸大宮伝道所

「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」

(ヨハネ17:1b-3)

 イエス様の祈りの言葉、「大祭司の祈り」と言われていますのが、この17章です。ここを3回に分けて味わっていきたいと思っています。

 今日のところで、しっかりと覚えたいのは、「永遠の命」です。

以前、私が大学生の頃参加した松原湖バイブルキャンプのお話をしました。そのキャンプで「永遠の命」という言葉に出会って、それが地上における命が永遠に続くことなのか何なのか、リーダーに質問しました。しかし、納得できる答えを得ることが出来ませんでした。なんとか答えを見つけるべく、お昼の休憩時間に湖岸に出て、ヨハネによる福音書を通読しました。6章40節で「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである。」とあり、終末に向けての希望を得ました。そして、今日の個所では「永遠の命とは、唯一まことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」とあって、なるほどそうなのか、と思い至ったのです。

 この「知る」という言葉ですが、知的に知るという意味合いではありません。人格的に知る、すなわち「出会う」「交わりを持つ」という意味で用いられているのです。(ルカ1章で天使から主イエスの誕生を告げられたマリアが「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と言った「知る」がそれに相当します。)

 ですから、永遠の命の祝福は、終末の希望でもあり、父なる神様とのつながり、主イエスとの出会いの中にあるのです。私たちの地上の生涯は遅かれ早かれ終わりを迎えます。その体は土葬にせよ、火葬にせよ、朽ち果てます。塵は塵に帰ります。しかし、父なる神様と主イエスに出会い、そのつながりの中にある者には、その先に思いをはるかに超えた永遠の命が約束されています。なんという恵み、なんという幸い。だから、死に際しても私たちは「父のみもとに召された」と言い、地上でのしばしの別れを悲しむとも、「地上での生涯を終えて神様のもとに憩う幸い」に思いをはせることが出来るのです。これは、クリスチャンの特権かもしれません。

 永遠の命とは、父なる神様と主イエスを知ること、深い交わりに入ることです。だからこそ、信じていれば安心して生きていけるのですね。

永遠の命が約束されている幸い、それをじっくり感じましょう。そしてまだ主を知らない周りの方々に「私って幸せ!」と言い続けたいものです。

 

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