「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
・・・言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方が、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
(ヨハネ16:7-8.12-15)
のっけからあなたがたは迫害を受ける、とイエス様はおっしゃいます。弟子たちは驚きもし、またイエス様がどこかに行ってしまわれることを匂わしているので不安に駆られます。イエス様が弟子たちと一緒にいたときは、人々の攻撃はイエス様に向かいました。しかし、イエス様が父なる神様のもとに帰った後は、弟子たちが迫害されるようになります。イエス様は前もってこのことを話しました。愛の配慮です。
イエス様が自分たちのもとを去って行くと聞いたとき、弟子たちの心は悲しみでいっぱいになりました。しかし、それは彼らの益になります。助け主である聖霊が与えられるからです。主にある悲しみのあるところに、必ず慰めと助けが伴います。私たちの人生でもその経験があるでしょう。
イエス様は弟子たちがイエス様の語ることを十分に理解できないこともご承知でした。理解出来る時が来ることも知っていました。真理の霊が神様の御心を教えてくれるからです。だから、イエス様ご自身が去ることを「あなたがたのため」と言っております。イエス様の後に弁護者が送られてくることを知っていたからです。「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」と言います。現代は「聖霊の時代」とも言われています。私たちの人生もこの聖霊に導かれて、クリスチャンとして生きているのです。特に私たちが信仰を持つに至ったのは、まさにこの聖霊の働きにほかなりません。「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人はだれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)とある通り。
新しい年、私たちは三位一体の神様について理解を深める機会を得ました。父なる神=創造主、子なるキリスト=救い主、聖霊なる神=助け主。
日曜日毎に、礼拝に集い、賛美をささげる幸いを覚えます。どうぞ、私たちが安全飛行を続ける為にも、六日間の旅路をおえたら、空港に戻り給油してください。牧師も管制官として、御言葉の導きに励みたく思います。