日本キリスト教団常陸大宮伝道所

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことが出来ない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」       

                      (ヨハネ福音書9:1-5)

 

 盲人のいやしの記事です。幾つかポイントがあります。

まず、この盲人から癒やしを願って懇願したわけではなく、主が「通りすがりに」この盲人を見出し、弟子たちの質問に答える形で癒やしが行われたことです。弟子たちは質問こそすれ、生まれつき盲人であった者への憐れみを覚えていません。主はこの人の苦悩に寄り添い、奇跡を行いました。主のみこころであれば、奇跡がおきるのです。

 続いて、最も注目すべきことが「罪」と「癒やし」のつながりです。

弟子たちの質問にもあるとおり、病気や身体の不具合は「罪の結果」と考えられておりました。だからこそ、「本人の罪か、それとも両親の罪ゆえか?」との質問が出たのです。それに対して、主イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と言われました。なんという神様の恩寵でしょうか!

私たちは行き詰まってしまいますと「なぜこんなことに?」と思います。しかし、神様の業が現れるために、とはなかなか思えないものです。常陸大宮に教会開拓をして、地域の保守性や土着信仰の強固さにため息をついていました。しかし今回熱にうかされながら、ふと神様の「強固な意思」と「深い憐れみ」を感じました。原因不明な熱から解放され、牧師として復活致しました。(バァバのお菓子屋のように、味の評価が浸透していくには、それなりの時間が必要でした。福音の浸透にもやはり時間がかかるのかもしれません。)福音の種まきに関わっている幸いを覚えます。

 最後のポイントは、この盲人は主イエスが命じたとおりに行ったことです。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに言って洗いなさい』と言われました。そこで行って洗ったら、見えるようになったのです。」彼は、疑わずに実行しました。効果があるかどうかもわかりませんでした。けれども言われた通りに実行しました。私たちにも祈りの中で、時に「こうしなさい」と主の促しを覚えることがあります。でも、と言い訳して実行に移さないことがありはしませんか?「目が見えるようになる」には、主の示すことに忠実に歩むのが一番なのです。神様は創造の始めに、混沌な世界に「光あれ」と言われ、光さす世界を出現なさいました。この私に神様はどんな業をなしてくださるのだろうか?ワクワクしてきます。「主よ、私にあなたのみ業が現れますように」と祈りましょう。

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