日本キリスト教団常陸大宮伝道所

   いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

        (テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5:16-18)

 

 若かった40代の頃、牧師でありながら「本当にこんなふうに生きられるか!」と思った聖句であります。そこには信仰をダメにする3D(だって、でも、どうせ)が働いていた気がします。

 だって、こんな状況なんだから、喜ぶなんて言ってられないよ!

 祈るというけど、でも静まって祈る時間など、忙しくて取れないよ!

 どうせ、感謝感謝なんて口先ばかりじゃぁない?ほんと偽善的よ!

という具合でした。この3Dに支配されると信仰は袋小路に入ってしまいます。あくまでも自己中心そのもの、神さまとの繋がりを重んじない姿勢です。

 それを打開するには、どうしたらよいでしょうか?自己中心の枠組みからいち早く抜け出るのが、最速最善ですが、なかなか出来そうで出来ないんですねぇ。3Dに代わる言葉を用いてみたらいかがでしょうか。

  だって→ だからこそ

  でも → それなら 

     どうせ→ どうせなら

 

 状況は変わらない。だからこそ、その状況をとらえなおす。辛い、しかしこれは主が与えた試練なのだと。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」

(ヘブライ人への手紙12:5-6)

 でも、と言い逃れせずに「それなら」祈るチャンスを作る。模範的な祈りの姿勢をとれなくても、直訴のような叫びの祈りでいいのです。どこにいても祈りましょう。神さまはどこにでもおられます。

 「どうせ」を一歩進めて「どうせなら」神さま繋がりを最大限に利用することです。感謝するというギリシャ語ユーカリステォーは「神さまの恵みを見つける」という意味の言葉です。神さまの恵みは、日々の生活の中で、あふれるばかりに存在しています。しかし、自分中心で神さまに向き合おうとしないと、それが見えません。神さまは私たちを罰しようとするのではなく、私たちの幸せを望んでおられます。

 いつも喜ぶ、絶えず祈る、どんなことにも感謝する。私たちが自らに固執してしまうのでなく、罪の自分に死んで、キリスト・イエスにおいて生きようとする時、その生き方が可能になります。生をうけて72年、クリスチャン歴54年、伝道者になって44年、今を生きる私自身の実感です。

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