思いがけずコロナウィルス感染拡大防止の為に、礼拝を休まざるを得ません。しかし、礼拝説教要約を皆さんのところに送ることで、家庭礼拝の手引きに従って、 「自分の場所で礼拝出来る」という特別な恵みを与えられました。説教の聖書個所はディボーション誌「マナ」によります。
「祈り」
祈るときにも、あなたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたがたは祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
(マタイ福音書6:5-6 )
今回のテーマは「祈り」です。祈りの本質が示されています。それは、祈りは人に聴かせるものではなく、 神様に対してささげるものだ、ということです。
しかも「隠れたところにおられる」神様。私たちの目には見えないけれども、確かにいらっしやつて私た ちがささげる祈りを聴いて下さる方、それが神様です。
今回のコロナウィルスに関しても「見えないから怖い」と言った方がいます。見えないけれどもその存在 を信じているのです。
それはクリスチャンにとつては「見えないけれども、たしかにいらして、祈りをきいて報いてくださる方」の存在を信じることとも言えましよう。
そしてくどくどと祈るな、とイエス様はおっしゃいます。ストレートに願いを申し上げればよいのです。
牧師としてよく訊ねられることに「祈りの内容はどういうものですか?」ということがあります。それに対して私は「猫とさかな」と答えています。
ね・・・願い
こ・・・告白(自分の罪を告白して赦しを乞う)
と・・・とりなし(家族や友の為に祈る)
さ・・・賛美(主をほめたたえる)
か・・・感謝(請求書ばかりでなく、祈りがきかれたら領収書も発行しましよう。)
な・・・なんでも(そう。なんでも訴えていいのです。)
公同の礼拝を休まざるを得ない、危機的な状況のなかで、私たちはそれぞれの場所で真剣に祈ってまいりましょう。隠れたところにおられる神様は、その祈りをおききあげくださいます。